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内はほらほら、外はすぶすぶ。子(ねずみ)の暗号

投稿日:2018年9月30日 更新日:


今回は干支の「子(ね)」=「ねずみ」について。

方角は「」になります。

いきなりですが「ねずみ」ってなんで「ねずみ」というか知っていますか??

ネズミという言葉は、「根の国に住むもの」だと新井白石がいったそうだ。それを指摘したのは池澤夏樹氏。読書誌「図書」に寄稿した小文「詩と散文、あるいはコロッケパンの原理」の中でそう書いていた。根の国とは「根の堅州国」ともいって、古事記では異界あるいは地下の世界として描かれている。そこに住む動物だから「根に住む」となり、更に「ねずみ」になったというわけだ。

根(ね)の国に住むから「ねずみ」!

根の国とは??


根の国(ねのくに)は、日本神話に登場する異界である。『古事記』では「根之堅洲國」(ねのかたすくに)・「妣國」(ははのくに)、『日本書紀』では根国(ねのくに)・「底根國」(そこつねのくに)、祝詞では根の国底の国・根國底國(ねのくにそこのくに)・底根の国(そこねのくに)と書かれる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/根の国

古事記に大国主神(おおくにぬしのかみ)が根の国に行った時の話があります。
そこにもネズミが登場します。

大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)は大屋毘古神(おおやびこのかみ)の言うとおり、須佐之男命(すさのおのみこと)のいらっしゃる、根之堅州国(ねのかたすくに)に向かいました。

そして、根之堅州国(ねのかたすくに)にやってくると、須佐之男命にお会いする前にその娘の須勢理比売(すせりびめ)と出会い、二人は見詰め合うとたちまち互いに惹かれ合い、すぐに結婚なさいました。

須勢理比売(すせりびめ)は家に戻ると父、須佐之男命に、

「とても麗しい神様がいらっしゃいました♪」

と申し上げると須佐之男命は御出ましになり、大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)を一目御覧になると、

「ほぉ~これは、葦原色許男神(あしはらしこおのかみ:別名の中の一つ)ではないか」

と仰せになり、大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)を宮殿に呼び入れ休ませました。しかし、その部屋は蛇がうじゃうじゃといる蛇の室(むろや)だったのです。

*娘を取られたくないと言う父親の思いからか、はたまた娘の夫としてふさわしいか試しているのか。また「葦原醜男(あしはらしこお)」とも書きますが、醜男には「強い、勇ましい男」の意味を持っていると考えられております。

そこで、須勢理比売(すせりびめ)は大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)が蛇に襲われないように魔除けなどの力を持つ比礼(ひれ:古代の女性が用いた両肩からかけるスカーフのような物)を授け、

「もしも、蛇が襲ってきたらなら、この比礼を三回振って下さい。きっと蛇はおとなしくなるでしょう」

と教え、大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)は妻の言うようにしたところ、蛇はすっかりおとなしくなり、その部屋でぐっすりと眠ることが出来ました。

しかし次の日、須佐之男命は大穴牟遅神を百足(むかで)と蜂の室に入れました。

そこで、須勢理比売(すせりびめ)が、今度は百足と蜂をおとなしくさせるための比礼を夫に渡し、昨日と同じように使うよう言いました。

そのおかげで、大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)は、この日もぐっすりと眠ることが出来たのです。

しかし、須佐之男命の試練はまだ続き、さらに度を増すことになります。

今度は鳴鏑(なりかぶら)という音の鳴りひびく鏑(かぶら)の付いた矢を野原の中に射こみ、それを大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)に探し拾わせに行かせました。

大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)が矢を探しに野原へ入ると、なんと須佐之男命はそこに火を放ち、野を火で囲んでしまいます。

火に囲まれ逃げ場をなくし大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)は、さすがに困り果て為す術がありませんでした。

そんな時、一匹の鼠が現れ大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)に向かって、

「内はほらほら、外はすぶすぶ(内側は空洞で外は窄まっているよ)」

と言い、大穴牟遅神はその地面を踏んでみると、そのまま下の穴に落ち、その穴の中に隠れている間に火は外を燃え過ぎていきました。

それだけではなくさっきの鼠が、探している鳴鏑の矢を咥えて持ってきてくれ大穴牟遅神に差しだしました。ただ、矢の羽はかじられボロボロでしたが、どうやら子鼠達が矢を見つけその矢の羽をかじって遊んでいたようです。

【古事記】大国主神の国作り~根の国訪問「須勢理比売との出会い」

人が死ぬとよくへ向うと言いますよね。

ネズミが示す「北」の方角、

飛鳥 昭雄氏が面白いことを書いています。

ここから本題である。北の果に何があるかというと、北極海があるというのが現実的回答だが、それだけでは不足している。地球を取り巻く地磁気が南極から出て地球全体を覆い、最後に北極から地球内部に潜り込む。その先にあるのは、磁力線がリコネクション(つなぎ替え)する「内核」が存在する。
 釈迦は、その世界を入滅前に予言しており、そこを「シャンバラ」と伝えた。これが後の「シャングリラ」となるが、聖書でいう「アルザル(アルツァレト)」である。アジアでは仙人が住む桃源郷とも呼ばれている。

では、そこが死者の世界かというとこれが微妙である。
 おそらくプラズマにも段階があるのと同じように、死後の世界とアルザルは重なってはいても別の段階と推測できる。
 同様に、この世界と死者の世界もプラズマを介して重なっている。これを「多重世界」という。次元が違うのだが、死者の世界からはこちらが見えるが、こちらからはプラズマの幕が薄くならない限り見ることが出来ない。
 あるいは、選ばれた人(聖見者)しか見れないし、過去の出来事にしても、ガイアである地球が記憶するレコードと直結した預言者しか、過去を見ることは出来ないだろう。
 預言者は名のとおり未来を見る人だが、未来は時を超えることであり、プラズマがもつ光速に近い「位相」の世界と直結する者なら見ることが可能だろう。

http://akio-aska.com/i/roman/shinrei.html

以下は「四十九日」について↓

人が死んでから次の生を受けるまでの49日間のこと。日本独自の死生観として、死者があの世へ旅立つ期間とも解釈される。四十九日。

インドでは、輪廻の思想により人の没後49日目に次に六道中のどの世界に生まれ変わるかが決まると考えられていた。またその元の生と次の生との中間的な存在である49日間の状態を「中陰」もしくは「中有」と呼んでいた。この中陰の期間中に審判があり、閻魔大王によって生前の罪が裁かれる。罪が重いと魂を清めるため地獄に落とされるが、遺族が中陰法要を行い、お経の声が審判官に届けば赦される。それが7日毎に行う法要である。

これが中国に伝わり、死者への裁きは一度でなく、中陰期間の7日ごとと100ヶ日、一周忌、三回忌に10人の王によって10回の裁きがあるとされ、閻魔王の他に9人の裁判官が追加された。さらに後、日本にも伝わり、宗旨によって様々な考え方に別れた。また四週目と五週目の法要の間に、最初の月命日が来る。

死者は49日間の間に色々な裁きを受けて、
次に生まれ変わる準備、もしくはあの世へ旅たつ準備をすると考えられています。

49という数字はどうも
「ブッタが瞑想に入ってから49日目に悟りを得た」
というところからきているようです。

さて、先回のブログの続きとなるが、チベット”死者の書” は、

バルド ソドル と呼ばれ、千年以上も前から伝えられてきた

密教の聖典だ。

臨終から再誕生していく死後49日間の間(バルド)に

おいて死者の魂への導きが曼荼羅(まんだら)の絵とともに

解き明かされている。

死後49日間、肉体を離れた魂が 生涯の目的でもあった、

”悟りのへ道”からそれないための導きの書ともいえるだろう。

ヨガ(神人統一)の道が説かれているのだが、御彼岸にちなんで、

この書が 仏様の悟りとどういう関係があるか

添えさせていただきたい。

 

仏様は6年間苦行の末、35歳で苦行で悟りを見出せないと

知り、村娘スジャータの”粥”を食して、断食を解く。

そして、菩提樹の下で瞑想を初める。

 

その49日間、ゴータマ・シッタルダは、魂の旅をするのだ。

様々な 夢うつつにも似た幻想も広がったことだろう。

悪魔のような狂気にも似た霊が現れては消え、誘惑しては

失せ、最後の悟りのための段階、壮大な意識の空間に苦行層

ゴータマ・シッタルダの魂は投げ出されたはずだ。

(中略)

49日後、12月8日未明に悟りを得、菩薩の身

(修行者)からブッダと尊称される覚醒者になった。

(中略)

そして、このバドルの書こそ、 その魂の放浪の記録、

解脱の道を得るための ブッダの”魂の彷徨記録”で

あったという説がある。

肉体から遊離した魂人間界はもとより、畜生界や

それ以下の地獄界に落とされないよう、バドル・ソドル は 

死者(求道者)の魂に導きを与える。

死者の書 と訳されているが、その意味からは

悟りの為の書 とも言えそうだ。

私たちは一度死ななければならない~のかもしれない

新しく生まれ変わるために。

それは肉体的な死を意味するのではなく

自分の意識を”どちらに向けるか”ということでもあるだろう。

肉から魂へ、

物から魂へ、

幻影から実存へ

小我から大我へ

自分だけの喜びから他者分かち合う喜びへ

悟りの目を開くときに、一度 死の門 を通るといわれている。

彼岸 というのは どこにあるのだろう?

あの世を指しているのが一般的だが、

仏教的に言えば、”悟りの世界”を意味しているのだ。

あの世に行かれた祖先の霊が、必ずしも

悟りの境地に行くわけではないだろう。

たとえ、あの世に行っても、人は悟るまで生まれ変わる

と言われる。

ほんとうの彼岸にたどり着くまで、

人は生まれ変わって、修行する。

その修行こそ、チベット密教的に言えば、

自分の”reality(実相=実存の姿)”を知るということだ。

執着や煩悩から離れて、“自由な心”= “無碍”

になること、それが悟りの一つの定義だが、

決して難しいことではなく、”本来の私”を想いだすことなのだ。

 

私たちの体の細胞が 一年前と今では

すべて新しく再生されたものであるのと同様、

私たちの心も 毎夜寝て朝目覚めるという

サイクルを繰り返しながら 日々生まれ変わっている。

https://blog.goo.ne.jp/teruyasu2012817/e/8b8827a6d0d0cfe0448cd4a2d1bc98a7

 

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