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鬼門と艮(ウシトラ)の金神

投稿日:2018年9月25日 更新日:

前回は羊について考察しました。

羊(ひつじ)と日本

干支は方角、時間と結びついています。

方角にもそれぞれ意味があり、
よく耳にするのが「鬼門」という言葉です。

鬼の門と書いて鬼門(きもん)。
そもそも鬼門とはどんな意味があるか?

鬼門(きもん)とは、北東=うしとら:の間)の方位のことである。陰陽道では、が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角としている。他の方位神とは異なり、鬼門は常に艮の方角にある。鬼門とは反対の、南西、ひつじさる)の方角を裏鬼門(うらきもん)と言い、この方角も鬼門同様、忌み嫌われる。南東()を「風門」、北東()を「鬼門」とした。

陰陽道においては、西は陰、は陽とされ、北東と南西は陰陽の境になるので、不安定になると説明される。

中国から伝わったものとされるが、家相や鬼門に関しては諸説あるが、出典がなく不整合なものばかりが一人歩きしている。

鬼門思想は中国から伝来した考え方であることに間違いはないが、日本の鬼門思想は中国から伝わった思想とは大きく違った思想になっている。なぜなら風水に鬼門思想はなく、日本独自の陰陽道の中で出来上がった日本独特の思想であると考えるべきである。

現代でも、人々は、縁起を担ぎ、家の北東、鬼門の方角に魔よけの意味をもつ、「柊」や「南天」、「万年青」を植えたり、鬼門から水回りや玄関を避けて家作りしたりと、根強い鬼門を恐れる思想がある。

十二支で鬼門(丑寅)とは反対の方角が未申であることから、の像を鬼門避けとして祀ったりしたといわれている。代表的な例が、京都御所であるが、京都御所の北東角には軒下に木彫りの猿が鎮座し、鬼門に対抗し(猿ヶ辻)といわれ、築地塀がその方位だけ凹んでおり、「猿ヶ辻」と称されてきた説がある。

京都御所の築地塀 北東角の部分

現在でも、家の中央から見て鬼門にあたる方角には、玄関、便所、風呂、台所などの水を扱う場所を置くことを忌む風習が全国に強く残っている。また、南西の方位を裏鬼門として、鬼門同様、水まわりや玄関を嫌う風習も根強く残っている。これは、京都御所の築地塀が鬼門、北東方位を凹ませてあることから、御所が鬼門を恐れ避けている、鬼門を除けていると考えられ、それから鬼門を避ける鬼門除けの手法とされてきた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/鬼門

まとめると、

・鬼門=北東(艮、うしとら)
・裏鬼門=南西(坤、ひつじさる)
・鬼門、裏鬼門ともに忌み嫌われる
・陰陽道では、北東と南西は陰陽の境になるので、不安定になると説明される。
日本と中国の鬼門思想は別物。風水に鬼門思想はなく、日本独自の陰陽道の中で出来上がった日本独特の思想。

 

なぜ忌み嫌われるのか??

なぜ「北東方位を鬼門と呼び、南西方位を裏鬼門と呼ぶのか」については、いろいろな説があります。

風水が日本に伝わった奈良時代の中国では、北東から異民族が攻めてきていました。その理由は、異民族たちの住む土地がやせた荒野だったためです。荒れ果てた土地では農耕がうまくいかず、豊かな土地を目指した結果、中国を攻めることになったのです。

鬼のように恐ろしい形相で異民族が攻めてきた方位が、中国からみると北東だったことから、北東方位を恐れ、中国の人びとは万里の長城などを作り防衛しました。

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歴代の皇帝が何代にもわたって万里の長城を築いたことを考えると、その脅威はかなりのものだったと予測できます。

ほかの説では、北東方位からの季節風がとても厳しく、農作物や人びとの暮らしに大きな悪影響を与えていたことを、鬼にたとえて、災い(=鬼)は北東方位から来ると考えていたとされています。

このような状況も絡み、風水が伝来した際に「北東方位は怖い」という思想も一緒に伝わったと考えられます。

日本で中国の思想が受け入れられたわけ

日本の気候や風土と中国の状況は同じとはいえません。それでも、北東を恐れる思想が残っているのはなぜでしょうか。その理由は、方位の影響に対する考え方に共通点があったからです。それぞれの方位について、改めて考えてみましょう。

鬼門と呼ばれる北東はあまり日当たりが良くないため、湿気がたまりやすく、カビが生えやすい方位です。また、裏鬼門と呼ばれる南西は、西日があたって温度があがりすぎることで、物が腐りやすく環境が悪い方位です。

このような採光や風通しなどが原因で起こる悪い影響を実感していたため、鬼門や裏鬼門の考え方が日本でも受け入れられたと考えられます。

なぜ鬼門と呼ぶのか

中国から伝わった土地の吉凶をみる風水の考え方が、日本で九星気学の思想と交わることで家相へと発展してきました。

九星気学では方位を重要視します。360度ある方位のうち東西南北をそれぞれ30度とし、北東、東南、南西、北西の方位を60度と定めています。ダウンロード60度としている方位も細かく見る際には、30度に分けて考えていきます。

360度を30度に分けると12の方位ができます。その30度ずつに分けられた方位それぞれには、図のように担当する十二支が配置されています。九星気学は北を下、南を上に表記しますので、北東の60度を担当する干支は「丑と寅」の2つです。

丑(うし)はツノを持つ動物、寅はキバを持つ動物です。地球上にツノとキバを両方持った動物は存在していません。しかし、ツノとキバを両方持ち合わせるとされるのが「鬼」です。

北東は丑と寅がいる方位=ツノとキバを両方持つ「鬼」がいる方位と考えられたのです。

また、十二支にはそれぞれ担当する月があります。子(12月)、丑(1月)、寅(2月)、卯(3月)、辰(4月)、巳(5月)、午(6月)、未(7月)、申(8月)、酉(9月)、戌(10月)、亥(11月)です。

九星気学は立春(2月4日)を一年のスタートとしています。寅は2月で「1年の始まり」であり、丑は1月で「1年の終わり」の月です。1年の切り替わりが丑と寅の間にあります。

また、九星気学では、2月~4月を春、5月~7月を夏、8月~10月を秋、11月~1月を冬としています。そのため冬から春の季節の切り替わりも丑と寅の間にあります。

さらに風水の考えでは、土地の吉凶を判断する際に東西南北をそれぞれ90度とし、4つの方位に分けて考えます。このとき北と西は高いほうがよく、南と東は低いほうがよいとしています。この土地の高低差による吉凶を分ける境界線(「運線」という)も丑と寅の間(鬼門)にあります。運線
このように北東には「年の切り替わり」「季節の切り替わり」「土地の高低を判断する切り替わり」があることより、気の流れが激しい場所とされています。

 

鬼門の意味と嫌われる本当の理由を家相の原理から知ろう

またこんな考察もあります。

鬼門とは「鬼が入って来る門」ということは知っていたけど、それが東北である理由がわからなかった。

そんな時、出会ったのが司馬遼太郎の「空海の風景」です。

ここに鬼門が東北になった理由が書いてある。

北東の隅は暗い、という鬼門の思想が中国から日本に入りこむのは、早く七世紀のころであったらしい。
陰陽五行説からきている。陰陽説とはおそらく中国の古代の農民が、日光がつくりあげる風景のあざやかな変化を見、日当たりの悪い所(陰)にできる作物と日当たりのいい所(陽)に出来る作物とのちがいにおどろき、農村にいた天才がこれに触発されて形而上化したものであろう

「空海の風景 上(司馬遼太郎)」

 

古代の中国人が畑や田んぼの作物を見ていて、「どうも、あそこは育ちが悪いなあ」というところを見つけた。
それは単に日当たりの問題だけど、頭のいい人がそれを理論化して、「鬼門」という考え方が生まれた。

どうやらそういうことらしい。

http://yukashikisekai.com/?p=39105

鬼門のルーツをみると、
単純に自然の摂理を表しているようです。

また必ずしも鬼門=不吉とは限らないという見方もあります。

鬼門を鬼の通り道とか、魔が通る道とか誤解されている方が、たくさんおられます。

中国風水では、鬼門は、全然問題視されてなく鬼門玄関は、吉とされています。それは、あまりにも中国大陸が広くて地磁気の影響をあまり受けないからなのです。

日本では、昔から家の中心から北東を表鬼門、南西を裏鬼門と呼び、大変重要な場所とされています。つまり日本列島は、弓なりに北東から南西へと地磁気の流れがあり鬼門から裏鬼門とエネルギー(艮の神様が通る道として有名です。)の通り道になっているのです。

怖い所じゃなく尊い所なのです。応接間でも寝室でも子供部屋でも全然問題ないのです。陽が少し当たりにくいが、ゆっくりと安眠できる所なのです。

ただ、神様の通り道なので不浄な物は、嫌われます。ゴミ箱やペットのトイレは、置かないようにしてください。1番嫌われるのは、トイレです。鬼門のトイレは、明るくしてピッカピッカに掃除してください。何故なら金運とリンクする重要な場所ですので、ただでさえ金運の気がトイレから流れてしまいます。防止法としまして白いお皿に粗塩を盛り2センチ位の水晶玉を置いてください。(2週間に1回塩を換え水晶玉を水で洗ってください。)

又、鬼門のキッチン、バスも出来るだけ奇麗にしてください。もし鬼門にバスがある場合、あまり長時間湯船の水をはらない事!

表鬼門を汚すと腰や膝にでると言われ、裏鬼門を汚すと胃腸やアトピーにでると言われています。又、鬼門の流れを遮断すると運も悪くなります!

1番問題なのは、鬼門に玄関がある場合です。ここをオープンにすると良い神のエネルギーも悪い邪気エネルギーも入って来る敏感な所なのです。家の周りに何もない鬼門玄関は、あまり問題ないのですが、前が、お寺や神社だと厄落としに来た人のマイナスエネルギーが入ってきます。又、病院やお墓等あると要注意です。改善法は、一対の万年青(おもと)か南天を家の外に置き玄関の中には、トイレと同じように塩と水晶を置くと良いです。

何も問題のない表鬼門にも白南天や万年青、裏鬼門にも、赤南天や万年青を置く事により家を守り気の流れを良くします。

表鬼門(北東)は、不浄な物がなくても神様の通り道ですので北東に障害物を一杯置いたり、グッチャグッチャにしたりすると気の流れが悪くなり金運が悪くなります。出来るだけ奇麗にする事で神様も新鮮な気を運んでくれる事でしょう!

鬼門は、何も恐れないで気の通しを良くする事により神様が喜んで通ってくれる開運の道なのです!

http://tukioyobu.air-nifty.com/tukioyobu/2006/05/post_cacf.html

 

艮(ウシトラ)の金神
艮つまり鬼門にいる神様のこと。

金神(こんじん)とは方位神の1つである。

金神の在する方位に対してはあらゆることが凶とされ、特に土を動かしたり造作・修理・移転・旅行などが忌まれる。この方位を犯すと家族7人に死が及び、家族が7人いない時は隣の家の者まで殺される(これを七殺(ななさつ)という)と言われて恐れられた。

金神の中でも、「うしとらの金神」は「久遠国」という夜叉国の王である巨旦大王の精魂とされる。巨旦大王の眷属の精魂も(普通の)金神と呼ばれる凶神となっている。

またその精魂の抜けた屍は牛頭天王によって5つに引き裂かれ、五節句に合わせて祭った(巨旦調伏の祭礼)。

すなわち、

  • 1月1日—-紅白の鏡餅(巨旦の骨肉)
  • 3月3日—-草餅(巨旦の皮膚)
  • 5月5日—-菖蒲ちまき(巨旦の髭と髪)
  • 7月7日—-小麦素麺(巨旦の筋)
  • 9月9日—-黄菊の酒(巨旦の血)

である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/金神

艮(ウシトラ)の金神もやはり忌み嫌われた存在のようですが、
さらに調べてみるとそこには深い謎が。。。

一般的な日本人であれば、毎年、節分の頃になると、「鬼は外!福は内!」と掛け声を上げながら豆まき行事を行なうかと思います。実はこの行為が、「地球を創造した正神への呪詛」であることを知る人は少ないと思います。

この正神のことを、かつて王仁聖師は『霊界物語』の中で、「国常立尊(くにとこたちのみこと)」と表現しました。日本の東北(艮)の地に追いやられ、呪詛によって封印されたことから、「艮(うしとら)の金神」とも言われます。

画像

【「艮」とは東北の方角のこと】 (画像拝借元:Wiki)

王仁聖師に言わせますと、正神であった国祖・国常立尊を陰謀によって追放し、艮の金神として呪詛をかけた集団こそ、中国北方に降り立った偽神・盤古大神であるということですから、この流れが古代の日本へも渡来してきて、大和朝廷を作り上げたであろうことは十分に考えられるのです。(私見では、盤古系の北朝、国祖系の南朝と理解しております。)

「艮の金神」の「艮」とは「丑寅」のことでもあります。丑寅・・・すなわち、牛のような角が生えた頭に、虎柄のパンツを履くものと言えば・・・もうお分かりですね!私たちが「鬼」と呼んできた存在ですよ!

画像

                 【国祖・艮の金神】

さらに大和朝廷(あるいは朝廷に雇われた陰陽師たち)は、風水の思想の中に、東北の方角を鬼門とする思想を植え付け、人々に忌み嫌われるように仕向けました。(風水、道教(陰陽道)の発祥の地である中国では、このような思想は見られないと言います。)

では、陰陽師たちは、国祖・艮の金神に対して具体的にどのような呪詛を仕掛けたのでしょうか?以下、『超訳 霊界物語―出口王仁三郎の「世界を言向け和す」指南書』(P89)から抜粋してみたいと思います。

—————————————————–

「節分」の時期にまく豆は煎った大豆だが、煎った豆には芽が出ない。これは「もし煎った豆から芽が出るようなことがあったら、表に出てきてもいいよ」という呪詛なのである。

また、「節分の夜」に、「柊鰯(ひいらぎいわし)」と言って、柊の小枝と、鰯の頭を玄関の門口に吊るす習慣がある。これは柊の葉のトゲで、艮の金神の目を刺し、鰯の臭いで艮の金神が家の中に入って来られないようにするための呪詛である。

他にもまだある。「五節句」に行なう風習はみなそうだ。

まず「正月」 。門の前に立てる門松は、艮の金神の墓標である。赤白の鏡餅は、艮の金神の骨と肉を表す。飾り物の鞠(まり)は、艮の金神の頭、弓の的は、艮の金神の眼を表している。

また、3月3日の「桃の節句」では、蓬(よもぎ)の草餅を食べるが、あれは艮の金神の皮膚である。

5月5日の「菖蒲(しょうぶ)の節句」で食べる粽(ちまき)は、艮の金神のひげと髪である。

7月7日の「七夕」には素麺(そうめん)を食べるが、あれは艮の金神の体の筋を表す。

9月9日の「菊の節句」では、菊の酒(菊の花を浸した日本酒)を飲むが、あれは艮の金神の血である。

これらの風習は魔除けの呪詛が起源になっているのだが、その除こうとしている魔というのが、「鬼=艮の金神」なのだ。その艮の金神の神示から誕生した大本では、節分の豆まきでは、当然ながら「鬼は外」とは言わない。「鬼は内!福は内!」と言って豆をまく。

また、「注連縄」も使わない。注連縄は国祖(艮の金神)が表に出てこられないように、縄を張り巡らした結界が起源だからだ。神社などでは、ご神木の幹に必ずと言っていいほど注連縄が張られているが、大本のご神木には注連縄がない。

このように、国祖を封じ込めるための数々の呪詛が、日本の文化の中に風習として伝わっているのだ。

————————————————

「人を呪わば穴ふたつ」と言われますから、他者への呪いは、すべて自分に返ってくることになります。それが正神への呪詛であったとしたら、なおさらのことであります。(このことを熟知しているであろう呪詛を仕組んだ張本人たちは、もちろん、これらの陰陽道行事には参加してないはずですね。)

『日月神示』には、以下のような神示が示されています。

「八岐大蛇を始め、悪の神々様祀りくれよ、心して結構に祀り始め下されよ。このこと役員のみ心得よ、岩戸開く一つの鍵ざぞ。」
(まつりの巻・第二十二帖)

八岐大蛇については今回は採り上げませんが、この神示の中で言われている「悪の神々様」というのが、おそらく「鬼=艮の金神=縄文先住系の神(アラハバキ神)」のことであろうと考えられます。(なお、この神は、同じく大和朝廷に追われ、東北の地へと逃れた物部氏の祖神(ニギハヤヒ尊)とも習合していったと考えられます。)

画像

【物部系の総本宮・石上神宮で祀られている牛神。石上神宮では、今まで盤古系の流れを汲む面々によって、「鎮魂祭」の名の下、牛神(国祖)が封印されてきたと推測されます】

https://mizu888.at.webry.info/201305/article_39.html

鬼門が忌み嫌われるようになったのは、
意図的な背景があったということでしょうか。

艮の金神と国常立神

艮(うしとら)の金神ほど、その評価が両極端に分かれる神はいない。
祟り神として畏れる人がいるかと思えば、救いの神として崇める人もいる。
艮の金神とは「金神」が艮の方向(北東表鬼門)に坐すという意味であり、
艮の金神なる神が常在している訳では無い。そもそも、金神とは年・月・四季に応じて、その居所を変える「遊行神」であり、
金神の坐す方角は大凶であるが故に、動土、普請、移転、嫁取りなど、何人も侵しては
ならないとして厳しく戒められてきた。もし侵したならば、身内の者が七人まで死ぬと
されている。これを金神七殺という。
金神は殺戮を好み祟りを為す大邪神であり、中でも北東の艮の方角すなわち表鬼門に在る時は、
最も霊力が強くなるとされ、人々から忌み嫌われてきた。
平安京の北東に延暦寺を建立し鬼門を封じたのもそのためであると伝えられている。
一方、艮の金神を偉大な神とする伝承もある。竹内文書では天神六代を国万造主大神身光天皇、
皇后を国万造美大神と伝え、それぞれ記紀における国之常立神、豊雲野神に比定しているが、
国万造主大神すなわち国常立神は、宇宙と地球ならびに森羅万象大自然を修理固成し、
人間と生きとし生けるもの全てを産み出した偉大な創造神とされ、大本では同神を艮の金神と
し国祖と讃えている。大本には国祖が金神となった悲劇的な顛末が伝えられている。
出口王仁三郎の『霊界物語』によれば、国祖によって産み出された人間が増えるに従い、
その吐き出す息によって妖悪不浄の雲が生じ、神界も現界も次第に乱れ、神も人も荒廃し
穢れに穢れてしまった。そこで、国祖は綱紀粛正を図るべく「天地の律法」を定めたものの、
あまりにも厳しい内容だった為、神々が天の大神様(スサノオ)に訴えたが国祖は聞き入れ
なかった。天の大神様は大勢を占める神々の意見を入れ、神謀りにかけ泣く泣く国祖に隠退を
命じた。国祖は神謀りによって北東鬼門艮の地(崇教真光では摩周湖)に封印され、
妻神の豊雲野神は夫に殉じて南西裏鬼門坤の地(崇教真光では開聞岳)に自らお籠りになって
しまわれた。
体主霊従に堕し魔に魅入られた神々は国祖夫妻をそれぞれ「艮の金神」「坤の金神」と称し、
邪悪な祟り神として人々に喧伝し、それが今に伝えられている。そればかりか、神々は国祖の
復活を恐れ、肉体を切り刻み五節に配すという酷い仕打ちを行なった。
元旦に供える鏡餅は国祖の骨を用い、門松は国祖の墓標とした。桃の節句の蓬の草餅は
国祖の皮膚、端午の節句の菖蒲の粽は国祖の髭と髪、七月七日七夕の素麺は国祖の筋、
九月九日重陽の節句の黄菊の酒は国祖の血でこしらえた。更に、蹴鞠の鞠は国祖の頭、
弓の的は国祖の目になぞらえ、節分の柊の棘で国祖の目を突き、鰯の頭を国祖の頭として
串刺しにし、国祖の目を潰そうとして炒り豆を投げて「鬼は外。福は内」と呪詛し続けてきた。こうして国祖の封印から長い年月が過ぎ、世の中は、ますます乱れ魑魅魍魎が跋扈する
鬼畜世界の様相を呈してきた。が、ついに明治25年節分の日、天の大神様(スサノオ)は
国祖の御霊を出口なおに降ろして「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ」
との託宣を下し、立て替え立て直しの御神業に着手された。
ちなみに、大本成立以前に出口なおが帰依していた、安政6年に開かれた金光教も金神を
万物守護の神「天地金乃神」と崇めている。このことから、なおの筆先を疑問視し、大本の教えは
金光教の教義の焼き直しではないかと、いぶかる向きもあるが、決してその様な事は無い。
国常立神は差し迫った国難に対処すべく、御自らの想いを託す事の出来る霊媒となる神の子、
すなわち出口なおを求めていたのだ。思えば、大本は国家権力によって大弾圧を受けたが、
これも国祖を封印した邪神のなせる業か。大本大弾圧の後、国常立神は岡本天明に一縷の望みを託し以下の神示(日月神示)を下した。
「国常立神もスサノオも大国主命も総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界に
居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、地は智の神様が治らすのぞと知らして
あろうが、天運正にめぐり来て、千(智)の岩戸(言答)はひらかれて、これら地(智)にゆかりのある
大神達が現れなされたのであるぞ、これが岩戸開きの真相であり、誠を知る鍵であるぞ」
地にゆかりのある大神達は、全て邪神によって封印された神であり、国津神である。
九と十の世界とは謎だが、伊勢神宮内宮の鰹木は十本で外宮は九本である事と、
奇妙に一致する。今後の解明が待たれよう。目下、世界では神々の争いが現界に波及し混迷の度を増してきている。

3・11によって国津神の封印は解かれた。
日本は世界の雛型である。真の立て替え立て直しは始まった。

http://kakizoe.seesaa.net/article/434916981.html

 

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